挨拶は、どんな時にする?
僕は、知らない人には挨拶はしない。
多少なりとも顔見知りでないとしないと思う。
お店に買い物に入った時に、お店の人は僕に挨拶をしてくれる。
僕も店員の時は、顔見知りでなくても挨拶している。
だとすれば、顔見知りだからするではない。
僕が渋谷のスクランブル交差点で、信号待ちの人には挨拶はしない。
でも、選挙の時の政治家の先生達は、誰にでも挨拶をする。
それは、自分に投票して欲しいからだろうが、僕には出来ないしする必要もない。
挨拶は、自分の存在を知ってもらうためのものなのか。
自己アピールなのかもしれない。
目的なり、目標があってするのかもしれない。
それでは、知らない人には挨拶をしないのか?
いや、する場合もある。
山登りの時に、すれ違う人には挨拶をする。
顔見知りでもない。初対面なのに?挨拶をする。
それは、山登りのルールだと聞いた事があるが、徹底されている。
山登りという共通の概念があるのだからかもしれない。
何かを共有しているか、共鳴するものがある場合は、挨拶をするのかもしれない。
仲間と認識をすると挨拶をするようだ。
見ず知らずの人から挨拶されれば、僕も挨拶を返す。
特に理由はない。
挨拶されたのだからと、自然にしている。
無難な対応で、お互いに気まずくなる事からも回避出来る。
挨拶は、気持ちよくする場合と嫌々でもする場合もある。
そうなると、挨拶は好き嫌いが無くてもする。
どちらかといえば、好意をいだく人には喜んでする。
嫌いな人であっても、ケースバイケースでしている。
嫌いな上司であったり、嫌な取引先の人だったり、習い事の先生や、学校の先輩だったり、クラブ活動等の先輩後輩の関係なら尚更、挨拶は重要になってくる。
挨拶をしないとえらい目に遭うからだ。
それを回避するためにしているのかもしれない。
組織や団体、各種のチームだったり、集まりの中での人間関係上必要になる。
そうなると挨拶の行為は、好き嫌いではなさそうだ。
挨拶は、人だけではないペットだってする。
よくワンちゃんやネコちゃんを飼っている人は、ペットに挨拶を頻繁にしている。
ワンちゃんなんか、尻尾をふったり、じゃれ付いてきたりする。それも挨拶だろう。
挨拶は、コミュニケーションを取るためには必要なものなのかもしれない。
話は戻るが、散歩中の飼い主同士は挨拶している。
共通や、共鳴、共有、それがあるから仲間意識が働くのだろう。
まとめると挨拶の行為自体には、知り合いかどうかも、好き嫌いもない。
相手が、大切かどうかだという事。
知り合いだと、どこかで大切な人と認識される。
お店では、お客様だから大切。
なぜならば、支払の中には従業員の給料が含まれるから。
選挙の時の政治家の先生は、一票でも欲しく議員になりたいからだ。その一票一票には公約を実現するためには当選しないといけないから、必死でアピールする。有権者は大切だと思うからこそ挨拶をする。
山登りの時は、共有している仲間意識が働く。仲間は大切だから挨拶をする。
ペットを飼っている人達も、共通意識を保有し合う仲間だから大切。
組織や団体、各種のチームだと、縦の繋がりと横の繋がりが存在する。それを意地しようとする事が大切だと感じると挨拶をする。
そこから離れた時には、道であっても挨拶しなくなるのは、一個人には大切だと思わない感情がそうさせるのだろう。
僕の結論は、挨拶は大切だと思うからするのだと思う。
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